2019年02月05日
社会・生活
研究員
平井 真紀子
最近、日常生活の中で外国人を見かけるのが当たり前になってきた。観光客だけでなく、コンビニエンスストアやファストフードの店員、満員電車で通勤する会社員など、日本で生活をしている外国人も増えてきたようだ。そんな人々を見ると、ふと懐かしくも苦い記憶がよみがえる。
15年以上前、筆者の娘たちがまだ保育園に通っていた頃、近所にミャンマー人の家族が引っ越してきた。その家族は焼き肉屋さんと定食屋さんを足して2で割ったような小さなお店を住宅街の中に開いた。始めはあまり客が入らなかったが、この家族の明るい人柄が知られるにつれ、近所の人で繁盛するようになった。近隣の住民も新しい"お隣さん"を町内会の仲間として受け入れていった。筆者も保育園帰りで疲れて夕飯を作りたくない時に足繁く通っていた。
家族の中には2~3歳になる、パンパンちゃんという女の子がいた。筆者の下の娘も同じ年頃だったので、お店でパンパンちゃんと一緒のテーブルで食べたり、食べ終わった後も遊んだりしてかなり親しくしていた。
ミャンマー人の奥さんは日本語がうまく、お客さんに気さくにいろいろ話しかけていた。筆者とも子育ての悩みなどをよく話し「子育ての悩みは万国共通なのだな」と感じたのを今でもよく覚えている。
そんな日々が2年弱ほど続いた頃、一家が帰国することになった。店は徐々に休みがちになり、筆者が上の子の小学校の入学準備で忙しくしている間に、いつの間にか閉店してしまった。「来年はパンパンちゃんが保育園に入れるといいね。また来るね」と奥さんと話したのが最後になってしまった。
一家にもう一度会いたくて、お店の大家さんに事情を聞いたところ、「祖国のご両親が病気になった」とのことだった。その時に、筆者は一家のフルネームも、ミャンマーでの住所も何も知らなかったことに気が付いた。日本のことはいろいろ話をしたが、ミャンマーのことはほとんど話を聞いていなかったのだ。きちんと「会話」をしていれば、会う手掛かりになったかもしれないのにと、とても後悔をした。
2018年末の出入国管理法改正を受けて、今後、ますます外国人が増えるだろう。外国人との交流の機会が増えたら、また親しい"お隣さん"ができるかもしれない。ミャンマー人家族に感じた寂しさを繰り返さないために、最近、筆者が始めたことがある。異文化と異国の食生活を知ることを目的にした外国人が、自宅で開催する料理教室に通い始めたのだ。
その教室では外国人講師の自宅を訪れて、そのキッチンで料理を習う。キッチンには日本ではあまりなじみのない香辛料がきれいに並んでいたり、母国の素晴らしい織物が壁に掛けられていたり異国の空間が広がっている。
パキスタン料理
(写真)筆者
「外国人」と一括りで言ってしまいがちだが、実に様々な国の人がいる。そして、国によっては日本とは慣習が全然違う。例えば、名前。ミャンマー人やパキスタン人には日本人の苗字に当たるものはない。また、ブラジル人は父方と母方の姓を重ねて付けることなども料理教室を通じて知った。
ほかにも、外国人と直接交流して初めて知ることがたくさんある。例えば、講師の子供たちは家にいる時は家族と母国語や英語で話しているが、幼稚園や小学校といった日本人相手では日本語で話しているという。なので、私たちのような料理教室の生徒には日本語で話しかけてくる。日常生活を垣間見ることで、彼らが日本の慣習と自国の慣習にうまく折り合いをつけていることを肌で感じる。
講師たちに料理教室を開いた動機を尋ねると、異口同音に「料理教室をきっかけに、日本人のことをもっと知りたい。そして、自分たちのことをもっと知ってもらいたい」―。自宅で料理を一緒に作ったり、食べたりすることでお互いに感じるものがあればよいという。子供が日本で育っている講師が多いため、本気で日本でずっと生きていきたいと思っているのだ。
ミャンマー人の家族にはもう会えないかもしれないが、もしまた会えたらミャンマーのことを教えてもらいたい。そして、これからますます増えるだろう外国人とは"お隣さん"としてうまくやっていくために、日本のことを知ってもらうと同時に、相手のことが分かるよう努力したいと心から思う。
平井 真紀子